糖尿病の基礎知識

本編に入る前に、この序章で、「糖尿病とはこんな病気である」という大まかな知識をみなさんと共有しておきたいと思います。すでに糖尿病の原因や合併症、HbA1cの意味など、全般的な基礎知識を十分にご理解していただいている読者の方は、この「糖尿病の基礎知識」(14~20ページ)の部分は飛ばして、次のブログ”出逢いは9.11トカゲから(21ページ)”から読んでください。

 ふだん、私たちは、ご飯やパンを食べたり、肉や魚や野菜を食べたりすることで、栄養素を体の中に取り込んでいます。この栄養素の中の大切な一要素が、炭水化物です。炭水化物は私たちの活動のエネルギー源になります。

 私たちの体が炭水化物を受け取ると、消化管が分解をして、ブドウ糖という物質に変えます。さらに食べものから取り入れられたブドウ糖の半分は、肝臓へと送られます。ブドウ糖を受け取った肝臓は、さらにこのブドウ糖をグリコーゲンという物質に変えます。ブドウ糖もグリコーゲンも元は同じ物質ですので、形が大きく異なることはありませんが、グリコーゲンという形にすると、体の中で貯えることができるようになります。食べものからエネルギー源を摂れないときも、体に貯えられたグリコーゲンを使えば、私たちは活動をすることができます。

 一方、食べものから取り入れられたブドウ糖の残り半分は、血液の中を流れています。健康な人では、ブドウ糖が血液の中に溜まりすぎないよう、ある一定の濃度に調節するしくみが働いています。食べものを体に入れた直後は、ブドウ糖の濃度が一気に上がります。そのとき膵臓から、「ブドウ糖の濃度を下げなくては」と、“あるホルモン”が放出されます。

 膵臓には、ランゲルハンス島という、ホルモンを分泌する工場のような場所があります。このランゲルハンス島にあるβ細胞という細胞から、「ブドウ糖の濃度を下げる」という役割を持つ、「インスリン」というホルモンが分泌されるのです。分泌されたインスリンは、肝臓へと向かって「もっとブドウ糖をグリコーゲンに変えましょう」と促したり、血液の中のブドウ糖を見つけて「細胞の中に入ってください」と促したりします。こうして膵臓から分泌されたインスリンが、体の中で増えすぎたブドウ糖の量を減らそうとするわけです。

 ところが、糖尿病になると、血液の中のブドウ糖の濃さを意味する血中濃度が下がらなくなってしまいます。これは、血液がいつもブドウ糖で満たされてしまっている状態です。この状態が続くと、すぐ後でお話しするような様々な病気が起きることになります。

 血中のブドウ糖の濃度がいつも高くなっている異常な状態が糖尿病です。では、正常であれば、食べた後すぐに血中濃度が元どおりになるはずなのに、なぜ、糖尿病では元どおりにならないのでしょうか。大きく分けて原因が二つあり、それぞれの原因によって「1型糖尿病」と「2型糖尿病」という呼び名が付いています。

 まず「1型糖尿病」は、膵臓のβ細胞が突然に壊れてしまい、インスリンがまったくといってよいほど分泌されなくなってしまう症状です。ブドウ糖の血中濃度を下げてくれるインスリンが出てこないのですから、血中濃度は上がりっぱなしになります。1型糖尿病は、子どもや青年など、若い頃から発症することが多くあります。

 いっぽう「2型糖尿病」は、肝臓のβ細胞からインスリンが分泌はされるものの量が少なくなったり、インスリンが作用する“現場”で、筋肉や細胞がインスリンの働きかけにあまり応じなくなったりすることで、ブドウ糖の血中濃度が下がらなくなってしまう症状です。遺伝的にそうなりやすいといった要因と、過食や肥満、運動不足、ストレスなどの生活習慣による要因が相まって起きるのが2型糖尿病です。日本では糖尿病の約95%がこの2型です。とくに、日本が戦後の豊かな時代を迎えると、欧米型の食文化を取り入れ出したため、糖尿病が増えていきました。厚生労働省の国民健康・栄養調査によると、2007年の時点で、「糖尿病が強く疑われる人」は890万人。「糖尿病の可能性を否定できない人」つまり「予備群」は1320万人います。

 この本では、主に「2型糖尿病」の治療についてのお話をしていくことになります。この先、とくに断りなく「糖尿病」と書いているものは、「2型糖尿病」のことであるとお考えください。

 糖尿病は、「サイレントキラー」とも呼ばれる病気です。つまり、本人の気付かないうちに静かに発症して、最悪の場合は死に至らしめるような病気であるということです。

 ただし、糖尿病そのもので死んでしまうようなことはありません。糖尿病に伴って徐々に生じる病気、つまり合併症が怖いのです。では、糖尿病になると、どのような合併症が起きるのでしょうか。合併症の代表的なものとして、「神経障害」「網膜症」「腎症」という三つの病気が知られています。この三つを、「糖尿病の三大合併症」といいます。

 これらの合併症の中で、最初に起きる可能性が高いのが神経障害です。手足がしびれたり、冷たくなったり、また男性は精力が減退したり、女性は生理周期が乱れたり、さらには便秘や下痢、立ちくらみ、汗を多くかく、といった症状が起きます。糖尿病の発症とほぼ同じ時期から起きるということは、糖尿病が原因で神経障害が起きるのでなく、糖尿病と同じ何らかの原因で神経障害が起きると考えても(仮説ですが)、よいのかもしれません。

 糖尿病になってから、5年や10年経ってから起きるのが、網膜症という眼の病気です。外側の世界から受け取った光の刺激を網膜が受け取って、脳へと伝えることで「見ている」という感覚になります。網膜を顕微鏡で見ると、細かい血管がたくさん走っていることがわかります。糖尿病の状態が長らく続くと、この細かい血管に何らかの異常が起きると考えられます。糖尿病による網膜症の症状として、まず、網膜から血が出てくる眼底出血があります。さらに深刻になると、失明することもあります。日本の成人が失明する原因の多くは、糖尿病による網膜症を原因としています。

 三大合併症のもうひとつが、腎症です。人の腎臓は、お腹の後ろ側の位置、背骨の左右両側に一つずつあります。ここで血管から流れてきた余分な水分や不要な代謝産物などをろ過して、尿をつくります。神経症は糖尿病とほぼ同時、網膜症は5年後や10年後に発症しますが、腎症は糖尿病になってから徐々に、かつ確実に進んでいきます。つまり、少しずつ腎臓の働きが悪くなっていくわけです。そして、糖尿病から15年後や30年後、ある一定のレベルを超えると、腎不全という深刻な病気になります。腎臓がよく働かなくなってしまったため、尿として排出するはずの成分が血液の中に残ったままになってしまいます。こうなると、人工透析装置を使って、腎臓のろ過の働きを機械に肩代わりしてもらわなければならなくなります。人工透析によって命をつなぎ止めることができたとしても、治療にはお金も手間もかかり、生活の質(QOL:Quality Of Life)が著しく悪くなってしまいます。

 これらの三大合併症のほかにも、糖尿病は心筋梗塞や脳梗塞、感染症などになるリスクを高めます。

 生活の質を著しく悪くしたり、死をもたらしたりする様々な病気の大もとになるのが糖尿病です。みなさんが糖尿病であるかどうかをどのような方法によって決めるのでしょうか。

 企業などが行う健康診断では、「これまでの病歴は」「体重の増減は」「喫煙の有無は」などといった問診を受けます。また、皮膚や眼などの触診や視診も行われます。これらの結果、糖尿病の疑いがある場合は、さらなる検査を受けることになります。[表1]に示したような四つの試験が主に行われています。

「血糖値」というのは、ブドウ糖の血中濃度のことで、1デシリットルつまり100㏄の血液の中に、ブドウ糖が何ミリグラム含まれているかを空腹のときとそうでないときにそれぞれ採血して調べます。

 また、「75グラムブドウ糖負荷試験」(OGTT)という試験もあります。水に溶かした75グラムのブドウ糖液を飲んで2時間後に採血し、血糖値を測るものです。

 これらの値も重要ですが、中でもこの本でひんぱんに登場する値が、4番目に掲げた「ヘモグロビンA1c」(HbA1c)というものです。

 血液の中には、赤血球という成分が含まれています。この赤血球を赤いものにしているのが、ヘモグロビンという鉄とたんぱく質でできた物質で、肺で受け取った酸素を体中に送り届ける大切な役割をします。実は、それとは別にヘモグロビンは、血液中の糖の量がどのくらいかを測る指標にもなります。ヘモグロビンは、ブドウ糖と手を結びやすい性質があります。そうして、ブドウ糖と結合したヘモグロビンの代表的なものが、「ヘモグロビンA1c」と呼ばれるものです。

 検査では、注射器で採った血液に含まれているすべてのヘモグロビンの中で、ヘモグロビンA1cがどれだけ含まれているかを調べます。糖尿病かどうかの判定は、検査を2回行うなど複雑ですが、ヘモグロビンA1cについていえば、この率が「6・1%未満か」「6・1%以上か」というのが、糖尿病型かどうかを判断する大きな分かれ目になっています。また、6・1%未満だとしても「糖尿病ではない」と安心するわけにはいきません。ヘモグロビンA1cが「5・6%から6・0%」の間の人は「境界型」の可能性が高いです。いわゆる「糖尿病予備群」です。糖尿病型ではないからといって気を抜くわけにはいかず、いまは食事療法や運動療法が勧められています。

 ヘモグロビンA1cの率を見る検査には、過去1、2カ月の平均的な血糖値を調べられるという特徴があります。血糖値検査よりもヘモグロビンA1c検査のほうが、日頃の生活習慣が反映されていると言えるでしょう。以降「ヘモグロビンA1c」は何度も登場するので、略して「HbA1c」と表すことにします。

 HbA1cには、6・1%という大きな境界線と、5・6%という小さな境界線があると考えてください。糖尿病の患者さんにとっては、HbA1cの値をいかに5%台にするか、といったことが大きな課題となっているわけです。そして、この課題に対して、これまでにない効果を発揮する薬が、インクレチンという物質から誕生したのです。その薬がどのようなもので、その薬を使うと患者さんの状態はどのようになるのかが、この本の大きなテーマです。

 序章の最後として、この本の章立てをここで簡単にお伝えしておきます。

 この次の第1章「出逢いは『9・11』と『トカゲ』から」では、私が糖尿病の新しい薬と出逢ったきっかけや、キーワードとして挙げた「インクレチン」の正体をお話ししたいと思います。

 第2章「『高血糖のメモリー』消去へ。前人未到の挑戦」では、インクレチンからつくられた新薬の特徴を紹介します。先ほど簡単に触れた「高血糖の記憶」を消去する挑戦が始まりました。

 第3章「患者さんが教えてくれた『前人未到への登り方』」では、この薬を服用し、私の外来に通院していただいている患者のみなさんの効き目のほどを、グラフなどを使って見ていくことにします。HbA1cの値が確実に下がっていくことを実感していただきます。

 第4章「変わる、薬の使い方」では、新薬の登場により、糖尿病治療はこれからどのように変わっていくかを、具体的に見ていきます。詳しく書きましたので、とくに今回の新薬に興味を持たれた開業医の先生方などには、ぜひご覧いただきたい章です。

 第5章「『糖尿病完治の時代』の未来像」では、糖尿病完治の時代の未来像を私なりに描いてみたいと思います。糖尿病が治るということは、患者さんを幸福にするだけでなく、社会全体を幸福にする可能性があります。

 第6章「『治る』時代が目前に迫ってきた!」では、いま期待されているインクレチンをさらに超える次世代の糖尿病薬も紹介します。世界の最先端レベルで開発中のウルトラ大型新薬のお話です。

 第7章「地球温暖化を前に夏には冷水の準備を」では、最後に糖尿病治療の思わぬ注意点が最近になって見えてきましたので、こちらを付け加えておきたいと思います。

 この本をお手に取られたみなさんは、それぞれ糖尿病に関する問題や関心を抱えていらっしゃることと思います。「糖尿病の治療に取り組んでいるのだが、このたび新しい薬が発売されたということでこの本を見つけた」という人もいるでしょうし、「先日の会社の健康診断で、“糖尿病予備群”であると言われてしまった。心配になってこの本を手に取ってみた」という方もいらっしゃるかもしれません。あるいは、「開業医をしているが、患者さんのために糖尿病についての最新の動向を知っておきたい」、また「大学の医学部生で、これから内分泌系や循環器系の勉強をさらに進めたい」といった、医療従事者の方もいらっしゃるかもしれません。

 読者のみなさんの背景は様々だと思いますので、この本では「健康診断で糖尿病予備群と言われてしまった」というような、まだ糖尿病の正体がはっきりとはわからない方でもわかるように、できる限りやさしく、お話をしたいと思っています。すでに糖尿病についての知識をひととおり把握しているという方も、ぜひ知っている部分はおさらいのつもりでお読みいただければと思います。きっとこれまでの糖尿病に対する考え方をくつがえされるような感覚を得ていただけると思います。「真の意味で糖尿病は治療できる時代が来たんだ」ということをぜひ実感してください。

朝日新聞出版、書籍 こんなによくなる!糖尿病 驚きの「インクレチン」新薬効果 朝日新聞出版、書籍 こんなによくなる!糖尿病 驚きの「インクレチン」新薬効果 2010年初版、著者:鈴木吉彦、14から22ページより、引用転載

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この記事を書いた人

鈴木吉彦医学博士。糖尿病分野で名医ランキング2016〜2023まで、常に掲載。Best Doctor  慶応大学医学部卒。
元、日本医科大学客員教授。現、HDCアトラスクリニック院長。
毎月通院糖尿病患者数1000名以上の糖尿病外来と併行しGLP1ダイエット外来の運用責任者
英文論文は沢山:IP:400以上。70冊以上の書籍の出版経験をもつ。累計100万部以上の書籍を出版。主たるサイト:
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https://www.glp1.com/
GLP1製剤「サクセンダ」について解説。未承認のGLP1製剤については、その危険性についても解説。現在、世界で最も注目されている糖尿病+肥満(Diabesity)やメタボ+肥満(Metabesity) を専門とする内科医師。
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