患者さんが教えてくれた「前人未到への登り方」

こんなによくなる!糖尿病 驚きのインクレチン新薬効果から第3章をお届けします。

第3章 患者さんが教えてくれた「前人未到への登り方」

 GLP−1の本来の力を発揮させるDPP−4阻害剤が、いかにこれまでの薬と異なるものであるかを前章で説明しました。その最大の特徴は「高血糖であればあるほど血糖値を下げる効果が高まり、低血糖に対してはブレーキがかかる」というものでした。これまでの糖尿病薬やインスリン注射で付きものだった低血糖に対する心配が、DPP−4阻害剤ではほぼなくなったわけです。

 この第3章では、私どものクリニックの外来で、実際にDPP−4阻害剤を使用されている患者さんの事例を紹介します。DPP−4阻害剤を使用していらっしゃる患者さんの典型的なデータや、劇的に血糖値の値を改善した方のチャンピオンデータなどをお示しします。新薬の効果がどれほどのものかをみなさんに実感していただければと思います。

 また、糖尿病と闘っている患者さんたちのがんばりについても焦点を当てて紹介したいと思います。読者のみなさんの中には、いままさに糖尿病と闘っていらっしゃる方も多いことと思います。少しでも「自分も糖尿病の治療に、喜びを見出せるくらい積極的になろう!」という励みになればと思います。

 この第3章では、いくつかのグラフが出てきます。いずれも血糖値がどれくらいかを示すデータです。その値として使っているのが、「ヘモグロビンA1c」(HbA1c)です。おさらいも含めてとなりますが、このHbA1cがどのような値であるかお話しします。

 HbA1cは、過去1、2カ月の平均的な血糖値を調べるのに適した値です。ヘモグロビンは血液の成分であり、肺で受け取った酸素を体中に送り届ける役割を担っていますが、ブドウ糖と結びつきやすい性質があります。血糖値が高い状態では、ブドウ糖と手を結んだHbA1cという部分のヘモグロビンが多くなります。血液中の全体のヘモグロビンのうち、このHbA1cがどれほどあるかを率で示したものが、HbA1cの値です。

 健康な方のHbA1cの値の分布グラフをお見せします[図3−1]。これは、私どものクリニックで行っている人間ドックをお受けになられた方のうち、糖尿病の患者さんを除いた方のHbA1cの値の分布です。きれいな山型の分布になっています。

 この中で、まず鍵となる値の一つが、HbA1c5・2%です。5・2%以上になると「特定保健指導」の制度での指導対象となります。特定保健指導は、2008年4月より始まった保険制度で、40歳から74歳までの公的医療保険加入者を対象としています。腹囲と肥満かどうかの指標となるボディ・マス・インデックス(BMI:Body Mass Index)を測り、基準以上の人はさらに血糖、脂質、血圧、たばこの習慣などを調べられます。これは「メタボ健診」などとも呼ばれています。そして、保健指導が必要と判断された方は、レベルに合った保健指導を受けることになります。この「血糖」の項目で引っかかるかどうかの境目が、HbA1c5・2%という値なのです。

 次に鍵となるのは、HbA1c5・6%です。5・6%以上になると、将来、糖尿病を発症しやすい領域に入ります。5・6%から6・0%の間の方は、いわゆる「糖尿病予備群」と判断される該当範囲です(ただし、厳密な意味での診断の基準にはなりませんが)。

 さらに、このグラフでは右側の外れたところになりますが、HbA1c6・1%以上になると「糖尿病型」となります。HbA1c6・1%以上に加えて、空腹時や随時などで測る血糖値の値も「糖尿病型」であれば「糖尿病」と確定されます。また、HbA1cのみ6・1%以上の場合も、再検査で血糖値が「糖尿病型」であれば「糖尿病」と確定されます。

 さらに、その上には、HbA1c6・5%という重要な数字があります。HbA1cが6・5%以上になると、糖尿病の合併症が起こりやすくなるのです。序章で紹介したとおり、「神経障害」「網膜症」「腎症」が、糖尿病の三大合併症です。

 糖尿病が確定した方は、糖尿病の治療に取り組むことになります。糖尿病の患者さんが治療の目標とするのが、HbA1c5・8%という値です。5・8%から6・5%未満を維持することができれば、血糖コントロールは「良」となります。5・8%未満まで下がれば「優」となります。私どものクリニックでは、患者さんに「優」となっていただくことを目標にしています。

 私どものクリニックでは、外来として来院されている患者さんなどの各種データを分析して、糖尿病関連の学会や全国各地での講演会などで報告しています。科学的な証拠を医療関係者や市民のみなさんに積極的に提供することで、医学・医療の発展に少しでも貢献することができると考えているからです。データの内容をお知りになって、私どものクリニックで最新の治療を受け始められる方も増えています。

 情報提供の一環として、今回、私どもはDPP−4阻害薬を使用される外来患者さん約60人のHbA1cの値の推移を集計して、分析することになりました。他の薬との併用などを含め、DPP−4阻害剤をより効果的に使う方法を検討するのに役立ててもらうようにしています。患者さんには、2009年12月に発売された日本初のDPP−4阻害剤となる「シタグリプチン」を使用してもらいました。投与開始時期は2009年12月となります。

 まず、DPP−4阻害剤を使用された患者さんの“典型的なデータ”を使って、HbA1cの値にどのような推移があったかをご覧いただきたいと思います。[図3−2]の患者さんは、50歳代の方です。私どものクリニックには2007年、つまりDPP−4阻害剤が発売されるより前から通院されていらっしゃいます。

 通院された当初は、HbA1c7・0%前後を推移していました。ところが、年末から正月にかけてはHbA1cの値がどんどん上がっていってしまいました。

 要因として考えられるのが、“おせち効果”です。みなさんもご経験がおありかもしれませんが、年末年始は忘年会、おせち料理、そして新年会と、食べたり飲んだりする量が増えてしまいます。糖尿病の患者さんにとっても、血糖値が上がりやすい難関の時期なのです。HbA1cは、過去1、2カ月の血糖の様子が反映されるものです。グラフの頂点となった時点は、食べ・飲みが増える年末年始のちょうど2カ月後となっています。やはり、“おせち効果”があったことがうかがわれます。

 その後も、この患者さんは、糖尿病治療に真剣に取り組まれました。緩やかながら、だんだんとHbA1cの値は下がっていきます。しかし、6%台よりも下がるということはありませんでした。ここには、既存の治療における“6%の壁”が存在します。

 繰り返しになりますが、従来の糖尿病薬で怖いのは低血糖になることです。従来の薬ももちろん糖尿病に効果があるということで承認されている以上、使えば血糖値を下げることになります。しかし、かと言って薬に強く頼って、薬の量を増やすなどすると、低血糖の問題が頭をもたげてきます。そのため、私ども糖尿病の専門家も坂を走って下りている馬にムチを打つようなことは躊躇してしまいました。低血糖という谷底へと転落しない程度に、崖のぎりぎりまで馬を走らせるような感覚です。どうしても、さらにムチを打つことはできません。

 そこにきて、いよいよ2009年12月に、DPP−4阻害剤「シタグリプチン」の販売開始ということになりました。私はこの患者さんにも、さっそくこのDPP−4阻害剤を使っていただくことにしました。それが、グラフ上に「シタグリプチン投与開始」と記されている時点です。

 さて、DPP−4阻害剤を使い始めてからの患者さんのHbA1cの値はどうなったかというと、初めの3カ月ほどは“横ばい”でした。たしかに、6%台の下のほうでしたが、5%台に突入することは、初めの3カ月はありませんでした。

 しかし、私はこの“横ばい”のグラフを見て、「DPP−4阻害剤は、やっぱり効く薬だ」と確信したのです。そして、患者さんご自身も、大喜びされていました。

 1年前の年末年始、この患者さんは食べる量が増えてしまい、HbA1cの値はどんどん高くなっていきました。ところが、1年後の年末年始におけるHbA1cの値は、横ばいです。DPP−4阻害剤が、年末年始に血糖値が高くなるという季節変動を、見事に消してくれたのだと思います。

 これには、GLP−1という優秀なマネージャーが“長時間勤務”を始めて、インスリンの分泌が増えたという直接的な効果もあるでしょうが、もう一つ「無意識のうちに食べる量が減っていた」という別の効果もありそうです。

 何人かの患者さんは、「鈴木先生、私、年末年始けっこう羽目を外して食べたと思ったのですが、体重も増えていませんし、HbA1cも高くならなかったのですね」と、驚かれていました。

 私は、患者さんの食事の量までを調べたわけではありません。しかし、実は、こうおっしゃる患者さんは、“食べたつもりになっている”だけのことで、実際はご本人が感じているほど食べてはいないのかもしれません。

 GLP−1の特徴として、脳の空腹中枢に「もう満腹です」というメッセージを送る“腹八分目効果”があったり、胃排泄の機能を低下させる効果があったりするのは、ご紹介したとおりです。これは、インクレチン新薬のうち、特にGLP−1アナログ製剤について言えることですが、「おにぎり1個を食べただけなのに、まるで料理のフルコースを食べたのと同じような感覚」になるという人もいます。GLP−1のこのような力を発揮させるのはDPP−4阻害剤でも同じことです。程度の差はあるかもしれませんが、DPP−4阻害剤に「食べたつもりが食べていない」という効果があっても、おかしくはありません。

 さて、ご紹介している患者さんは、年末年始のHbA1cの値を横ばいで乗り切ることができました。その後、値の推移に大きな変化が見られました。

 DPP−4阻害剤の投与開始から、4カ月ほどすると、この患者さんのHbA1cの値はついに5%台に突入したのです。

 HbA1cの値が5%台に突入したことの意義を改めて考えてみます。

 まずそもそも、HbA1cを5%台に突入させるのに安心で、かつ効果的な薬は、これまでありませんでした。薬によって5%台まで下げることは不可能ではありませんが、下げすぎると、どうしても低血糖の危険性が頭をもたげてくるのです。5%への突入はある意味で、低血糖の世界に足を踏み入れるようなものだったのです。6%と5%の境界線を水面に置き換えると、これまでの薬(特にSU剤)やインスリン療法は飛行機を水面ぎりぎりのところで低空飛行させるようなものでした。しかし、水面ぎりぎりを低空飛行させることはとても難しく、やはり低血糖が起きてしまうのです。

 2008年に米国糖尿病学会で報告された「ACCORD試験(Action to Control CardiOvascular Risk in Diabetes trial)」という有名な試験があります。この試験では、2型糖尿病1万251例について、厳格な血糖値のコントロールに取り組んだ「強化療法群」の患者さんと、そこまで厳格な血糖コントロールはしなかった「標準療法群」の患者さんと、半分に分けました。強化療法群の患者さんは、医師から「HbA1cの値が6%未満になることを目標にしましょう」と言われ、これに取り組みました。一方、標準療法群の患者さんは、医師から「HbA1cの値を7%台に保つように治療しましょう」と言われ、同じくこれに取り組みました。

 その後この二つの群の患者がどうなっていったか、追跡調査をしたのです。

 まず、HbA1cの値に明らかな差が出てきました。強化療法群の患者さんは「HbA1cを6%未満に下げるようにしましょう」と言われたのですから、HbA1cの値は大きく下がっていきました。試験開始から1年では平均6・4%になったといいます。一方、標準治療群の患者さんは「7%台を保つようにしましょう」と言われたのですから、それほどは下がりませんでした。平均7・5%だったといいます。

 単純に、「6・4%」と「7・5%」という値を比べれば、6・4%まで下がったほうが、糖尿病治療として効果があったような感があるかと思います。しかし、実際のところ、そうとは言えないことが判明しました。なお、この数値を単純に日本の基準(JDS値)にして解釈すると、「6・0%」と「7・1%」という違いの差になります。第2章でご紹介したUKPDSのレベルとは、だいぶ異なります。

 ACCORD試験では、低血糖に対する処置が必要な患者さんがどれほどに上ったかを追跡調査しました。強化療法群(日本の基準でHbA1c6%以下を目標とした群)と従来療法群(日本の基準でHbA1c7・1%前後でよしとした群)のそれぞれについて、「治療が必要な低血糖」になった人と、「何らかの対応が必要な低血糖」になった人という二つのレベルに分けて、それぞれの人数を数えたのです。

「治療が必要な低血糖」になった人は、従来療法群では179人だったのに対して、強化療法群では、なんと538人にも上りました。率にして3・5%対10・5%です。また、「何らかの対応が必要な血糖値」になった人についても、同じような差が出ました。従来療法群では261人だったのに対して、強化療法群では830人にもなったのです。率にすると、5・1%対16・2%でした。どちらのレベルの低血糖も、トリプルスコアとなったのです。

 このACCORD試験では、HbA1c6%未満を目指した強化療法群に対して、SU剤やインスリン注射療法などがなされていました。つまり、強化治療を行うと低血糖に陥る患者さんも多く現れるということが大規模な研究で明らかになったのです。いかに、低空飛行を目指すことが、危険であるかがおわかりいただけるかと思います。

 なお、ACCORD試験では、試験開始から3・5年での総死亡、つまり理由は何であれ死亡した人の数を比べても、強化治療群の患者さんのほうが標準治療群より多くなりました。明らかな差が出たため、この試験は打ち切りとなりました。

 いかに、HbA1c5%台を目指すことが低血糖と隣り合わせの危険なことであったかがおわかりいただけたかと思います。それに対して、DPP−4阻害剤を用いた治療では5%という、これまでの“低血糖の世界”に突入することができるようになりました。低血糖の世界に突入しても大丈夫なのは、DPP−4阻害剤が「低血糖に対してはブレーキがかかる」というGLP−1の力を発揮させるための薬だからです。

 もう一点、HbA1cの値が5%台に突入することの意義をお話しします。糖尿病で恐ろしいのは、神経障害、網膜症、腎症などの合併症です。これらの合併症は、6%台になると発症する可能性が出てくると言われています。そして、6・5%以上になるとさらに合併症が起こりやすくなると言われています。

 しかし、これらの合併症も、HbA1cが5%台に戻れば改善されるというデータもいろいろ出てきています。例えば、糖尿病の発症から間もなく起きる神経障害は、HbA1cが5%台になれば症状がよくなります。糖尿病による網膜症も、6・1%以上になると起きるとされていますが、逆に5%台を取り戻すことができれば眼底出血が引くようになるというデータも出てきました。また、腎症についても、5%台に戻れば蛋白尿の値が減るということが、わかっていますし、実際に私の外来でも、よく見かける現象の一つです。

 前章で「高血糖の記憶」という説について触れました。私が、「DPP−4阻害剤を使用すれば『高血糖の記憶』は消去できると言いたくなります」と申し上げたのは、このように「5%台に突入すれば糖尿病の合併症が治る」という科学的証拠が多く出てきそうだと言われているからです。すなわち、DPP−4阻害剤などのインクレチン新薬を取り入れた糖尿病治療を行えば、その夢のHbA1c5%台に突入することも不可能ではなくなってきているのです。

 なお、この患者さんは、第2章で紹介した「ビグアナイド剤」という既存の薬の一種、「メトフォルミン」を併用して、この5%台を達成されました。DPP−4阻害剤のシタグリプチンとビグアナイド剤のメトフォルミンには、お互いがお互いの優れたところを引き出す相互作用があることがわかっています。メトフォルミンには、小腸からのブドウ糖などの栄養素の吸収を妨げる作用があり、これがGLP−1の分泌を増やすことにつながります。メトフォルミンを2グラム使用すると、DPP−4阻害剤(シタグリプチン)を100ミリグラム服用するのと同じレベルでHbA1cが下がることがわかっています。米国では、1錠の中に、DPP−4阻害剤とメトフォルミンのそれぞれの成分を含めた合剤が発売されています。メトフォルミン単剤で使うよりも、血糖値を下げることが証明されています。

 この患者さんは、5%台に突入してからは、安定して5%台を維持し続けています。もちろん低血糖になるようなことは起きていません。

 医学・医療あるいは科学の世界には、「チャンピオンデータ」と呼ばれるものがあります。スポーツ競技では、陸上、水泳、スケートなどで世界記録を争っていますが、医療や科学の世界でも、研究者は試験や実験で“最も優秀な結果を示すデータ”を得るための努力をしています。そうして出された“その道の最も優れたデータ”が、「チャンピオンデータ」です。

 先ほどご紹介した患者さんのHbA1cの推移を示すグラフが“典型的なデータ”だとすると、これからご紹介する患者さんは“チャンピオンデータ”ということになります。つまり、私のクリニックでDPP−4阻害剤を使用して治療していただいている150人ほどの患者さんの中で、HbA1cの値が最も下がった方となります。

 この方は50歳代。私どものクリニックに初めて来院されたとき、HbA1cの値は14%台と、とても高い状態にありました。日本糖尿病学会のガイドラインによると、HbA1cの値が8・0%以上は、「不可」という領域になります。これは、「細小血管障害への進展の危険が大きい状態」とされ、生活習慣の改善や治療法の変更などを含めた、十分な対策をとる必要がある領域です。

 この患者さんが初めて外来にいらっしゃったときは、すでにDPP−4阻害剤が発売されていました。さっそく、この患者さんにも、DPP−4阻害剤と複数の糖尿病治療薬(SU剤、アクトス、メトフォルミンなど)を併用していただくことにしました。

 DPP−4阻害剤を使い始めてから1カ月あたりは、さほど目立った変化は起こらず、14%台のままでした。HbA1cは過去2、3カ月の血糖の状態を示すものですので、この時期には大きな変化が起きないのも当然です。

 ところが、DPP−4阻害剤と他の糖尿病治療薬を併用して使い始めて2カ月もすると、この患者さんのHbA1cの値は7%台へと劇的に下がっていきました。まるで馬が坂を下るのではなく、ローラーコースターが急激に落下していくような下がり方です。

 その後、6%台になると、この急激な曲線の傾きは緩やかなものに変わりました。この曲がり具合は、「低血糖に対してはブレーキがかかる」というGLP−1の特徴とまさに合っています。その後、緩やかに値は下がっていき、DPP−4阻害剤を使った治療を始めてから3カ月後に、この患者さんも5%台へと突入しました。いまも安定して5%台を保っています。

 正直なことを申し上げると、この患者さんのようなカーブを描くのは私のクリニックでは、普通にあることでまれなことではありません。大学病院から、アルバイトで来ていただいている糖尿病の専門医の先生たちですら、「こんな外来、見たことない。勉強になりました」と言われるくらいなのです。

 DPP−4阻害剤が日本でちょうど発売される時期に、私はご招待いただいた講演会で、「私どものクリニックでの当面の目標は、外来の患者さんの値を6%未満にすることです!」と、聴衆の前で申し上げました。この薬が販売される前の段階でも、私は薬の効き目を確かめる試験に協力していたため、ある程度の確信はあったのです。しかし、そのときの心境を振り返ると、「6・0%未満が目標と言っちゃったけれど、大丈夫かな。人前で宣言のように“6%未満”を口にするのはさすがにまずかったかな」という後ろめたさのようなものがありました。しかし、外来患者さんに、発売されたDPP−4阻害剤をお使いいただいてから半年後には、自信半分で宣言したことが現実のものになってしまったのです。

 私どものクリニックの実際のリアルな臨床データを紹介したのは、いま糖尿病と闘っていらっしゃる、この本をお読みの患者さんに、「自分もこうなるんだ!」というイメージと目標をもっていただきたいからです。

 この本のカバーの表側をご覧いただけますでしょうか。色鮮やかな円グラフが印刷されています。この表は、実は私どものクリニックに外来でいらっしゃった患者さんの“成績表”です。左の円グラフは、クリニック初診時、あるいは診断時のHbA1cの値。右側が、DPP−4阻害剤をお使いになって6カ月後のHbA1cの値です。色が黄色くなっているのは「6・0%よりも下」ということを示しています。典型的な患者さんや、チャンピオンの患者さんだけでなく、多くの患者さんのHbA1cがすでに5%台に突入しているということがおわかりいただけると思います。

 外来でいらっしゃるたびに血糖値が低くなっていく患者さんの喜ぶ表情を見るのは、私ども医療従事者にとって、とても励みになります。でも、その励みは、実はクリニックにおこしいただく患者さんたちの間でも共有し合っていらっしゃるのです。

 HbA1cの値が5%台に突入すると、やはり患者さんは嬉しいのでしょう。クリニックのお会計の椅子で、隣に座っている別の患者さんに「私、きょう先生から5・9%と言われました。ついに6%を切ったんですよ」などとお話をされます。すると、これを聞いた患者さんは「ああ、あなたも5%台になったのですね。おめでとうございます」。また別の患者さんが「みなさん、すごいですね。でも、私も6・3%まで下がったので、もうすぐみなさんの仲間入りをしますからね」。

 このように、クリニック待ち合い室や、お会計の空間で、患者さん同士がHbA1cの値の情報を交換し合います。そして、次々と「私もついに5%に突入しました」という人が多くなると、「よし、自分も仲間入りしなくちゃ」と励まされて、食事や運動療法もがんばるようになるのです。こうして、5%台が多数派になり、6%以上ある人は少数派へとなっていきました。

 このように、患者さん同士がクリニック内で情報を共有し合い、励まし合うことも、血糖値を下げるという点ではとても重要なのです。この効果を、私は「ウィスパー(ひそひそ語り)効果」(whisper effect)と呼んでいます。患者さん同士がクリニックで、ひそひそ話し合って、お互いにモチベーションを高めているからです。

 患者さん同士の励まし合いも、糖尿病と闘うという点では、とても大切なのだということを改めて思い知らされた、ウィスパー効果でした。

 ここで、私とともに患者さんの糖尿病治療を支えてくれているスタッフにも、DPP−4阻害薬が使われ始めてからの患者さんの様子を聞いてみたので紹介します。まず、患者さんととてもよく接している看護師さんは、こんな感想を語ってくれました。

「昔から、鈴木院長はHbA1c5・8%以下を目標に掲げていました。でも、実際には、私たちナースの目の前で採血する患者さんたちは、『鈴木先生は厳しすぎる』という苦情を、たくさん聞いてきたのです。

 でも、そういう苦情が最近は、ぴったり減りました。本当に、患者さんたちは、生き生きしてきました。HbA1cが5%台になることで、通院することが苦痛でなくなってきているようです。5%台を確認することは、将来、失明も起こらない、透析にもならないということを確認するだけでなく、希望を持てることになります。それもあって、2010年の春から夏にかけて、そういう熱心な患者さんが増えてきました。院長だけでなく、私たちスタッフも驚きです。

 まじめに服薬をされている患者さんたちに、私たち医療関係者も、その真摯な態度に胸を打たれることがあります。糖尿病治療は、私たち医療スタッフと、糖尿病患者さんと、両者で努力して、創り上げていくものだ、ということがわかってきました」

 この看護師さん以外に、検査技師さんたちも同様のことを語ってくれました。こうした実感も、インクレチン新薬が起こした効果の一つといえます。

 私ども医療従事者が患者さんと接することで得られるものは、喜びや励みといった精神的なことだけではありません。患者さんとのコミュニケーションの中で、時に、治療法のアイデアやヒントとなることをご提供いただくこともあるのです。

 糖尿病の専門医である以上、私自身も高血糖には注意するようにしています。そこで、こまめにHbA1cの値を自分自身で測るのですが、だいたい5・0%で安定しています。

 そんな折、治療に取り組まれている外来の患者さんに、健康である私よりもHbA1cの値が下がった方が現れました。この患者さんは、クリニックでインクレチン新薬の一つ、GLP−1アナログ製剤を注射し、かつ、既存の糖尿病薬を併せてお使いになっている方です。この治療法によって、HbA1cが5%台前半まで下がり、時には4・5%台にもなり、それを維持できているのです。もう、健康な人のHbA1cの値となんら変わりません。

 私は「主治医よりも値がよくなるとは……」と、少し悔しくなりました。そこで、この患者さんに「GLP−1アナログ製剤の注射以外に、何かされているのですか」と尋ねてみました。

 すると、患者さんは、こう答えました。

「食べるときは、ちょこちょこと食べているんです」

 患者さんのこの言葉を聞いて、私は「なるほど!」と膝を打ちました。

 この患者さんは、従来の糖尿病薬もお使いになっています。何度もお話ししているとおり、従来の糖尿病薬の大きな課題は、低血糖の恐れが強いことです。日本糖尿病学会でも、低血糖が心配なときはインスリンやSU剤の使用量を減らすように指導しています。これは、いわば「HbA1c5%台という“低血糖の世界”の一歩手前まで来たら、馬のスピードを抑えろ」と言っているのと同じです。

 一方、この患者さんは、学会の指導どおりには従いませんでした。そのことについては議論の余地があるかもしれませんが、それよりも何よりも工夫がありました。それが「ちょこちょこと食べる」ことです。

 低血糖は、血液中の血糖の量が不足するために起きるものです。そして、この血糖の量の不足は、食べ物や飲み物からブドウ糖を体に取り入れることで回復することができます。なので、効き目の強い薬を飲んで“低血糖の世界”に突入することをあらかじめ想定し、血糖値が低くなる時間帯に「ちょこちょこと食べる」ようにすれば、53ページの[図2−1]のように、馬のスピードを緩めなくてもよくなります。スピードを出しすぎて危ないコースにさしかかったときは、「ちょこちょこ食べる」というセーフティネットを張れば、スピードを出し続けて走ることができます。低血糖が心配なあまり、薬の量を減らすようなことはしなくてもよいことになります。

「何かされているんですか」「ちょこちょこと食べているんです」。患者さんとの何気ない会話をヒントをもとに、私は、既存の薬やインスリン注射で低血糖が心配な方に実践していただきたい方法を考案しました。次のような方法です。

 まず、食事は朝、昼、晩にとるのが基本ですが、これ以外の時間帯にお腹が減ってくることがあります。例えば、朝の10時や、昼の3時。“おやつ”の時間帯です。この、ちょっとお腹が減ってきた頃は、低血糖になりやすい時間帯の少し前に当たります。この各時間帯に、日本糖尿病学会が出している「食品交換表」における表2、つまり果物類か表4、つまり牛乳などの乳製品類の1単位、つまり80キロカロリーの食べ物や飲み物を取るようにします。

 午前中に「ちょっとお腹が減ってきたかな」と感じたら、果物を80キロカロリー分、食べます。バナナだったら1本、リンゴだったら2分の1個ぐらいが目安です。そして、午後に「またちょっとお腹が減ってきたかな」と感じたら、今度は牛乳を80キロカロリー分、飲みます。120㏄が目安です[図3−5]。

 これで、朝昼晩でない時間帯に、2単位、つまり160キロカロリーを取り入れたことになります。160キロカロリー分を間食で取ったので、朝、昼、晩の普通の食事をするとき、どこかで160キロカロリー分を抑えるようにします。こうすれば、1日の総摂取カロリーは変えずに、低血糖になりそうな時間帯にセーフティネットを張ることができます。この方法をとれば、従来の糖尿病薬(特にSU剤)やインスリン療法を用いるとき、低血糖の心配をして量を減らすようなことをしなくてもよいことになります。

 私は、患者さんからヒントを得て考案したこの方法を、クリニックの患者さんに試してもらっています。半年ほど指導したところ、低血糖になった患者さんはいませんでした。低血糖に少しだけなりかけた方もいらっしゃいましたが、「先生から言われた指導を守ったら、低血糖を避けることができました」とおっしゃっていました。「この指導法は正しい!」と私が実感できた瞬間でした。

 いまの日本糖尿病学会の指導では、低血糖への対策としてSU剤を減らすことが示されています。一方、私が患者さんにお勧めしている方法は古典的なやり方とも言えます。昔は、インスリン注射を使っていた患者さんには特別に一日三食でなく、「一日五食、食べたほうがよい」といわれていた時代もありました。私としては、「昔の指導法」を思い出しただけ、なのです。

 いずれにしましても、この方法の良しあしは、今後の糖尿病の学会全体で議論していただければいいなと思っています。

 DPP−4阻害剤などのインクレチン新薬は、SU剤との併用に注意すれば低血糖を起こす心配はまずないとされています。しかし、まったく既存の薬が使われなくなるというわけではありません。薬の組み合わせなどによって、より効果的にHbA1cの値を下げることができます。

 様々なアイデアを駆使して、私どもと私どもの患者さんは、前人未到だった5%台という最高峰を目指してきました。それは、「誰か1人でも5%台になることを目指す」という目的ではなく、「多くの人が真の意味で糖尿病を治せるようになる」という目的を果たすためのものです。

 前人未到の最高峰を目指す道の途中には、患者さん同士が「私たちも高峰を目指しましょう」と励まし合う雰囲気が生まれたり、「ちょこちょこ食べている」という患者さんの何気ないながらも大きなヒントとなる一言が聞こえてきたりと、様々な出来事がありました。患者さんたちとともに最高峰まで登ることができた喜びがあります。

 いま、多くの患者さんが「私も」と、最高峰に登り出そうとしています。

朝日新聞出版、書籍 こんなによくなる!糖尿病 驚きの「インクレチン」新薬効果 朝日新聞出版、書籍 こんなによくなる!糖尿病 驚きの「インクレチン」新薬効果 2010年初版、著者:鈴木吉彦、68から89ページより、引用転載

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この記事を書いた人

鈴木吉彦医学博士。糖尿病分野で名医ランキング2016〜2023まで、常に掲載。Best Doctor  慶応大学医学部卒。
元、日本医科大学客員教授。現、HDCアトラスクリニック院長。
毎月通院糖尿病患者数1000名以上の糖尿病外来と併行しGLP1ダイエット外来の運用責任者
英文論文は沢山:IP:400以上。70冊以上の書籍の出版経験をもつ。累計100万部以上の書籍を出版。主たるサイト:
ホームページはここをクリック
https://www.glp1.com/
GLP1製剤「サクセンダ」について解説。未承認のGLP1製剤については、その危険性についても解説。現在、世界で最も注目されている糖尿病+肥満(Diabesity)やメタボ+肥満(Metabesity) を専門とする内科医師。
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