糖尿病に克つ 新薬最前線よりあとがきをお届けします
あとがき
本書を通読していただくと、「えっ! 糖尿病は〝治る〟!?」と驚く方もおられるかと思います。〝治る〟という表現を患者さんに対して口にしていいのかどうか、糖尿病専門医の間でも議論が分かれるところです。
実際にはどうなのでしょう。
理論的に考えて、GLP−1が膵臓β細胞の増生を促進するという事象を踏まえれば、数年のうちに糖尿病が治癒したといえるレベルにまで膵細胞が回復する可能性はあります。その段階で“治る”と表現していいかもしれません。
もちろん、その段階でもGLP−1を投与しつづける必要が残っている場合は、たとえHbA1cが5%以下になったとしても「糖尿病が治った」とはいえません。しかし、境界型糖尿病の段階からDPP4阻害剤を服用すれば、糖尿病発症を抑えたり正常型に戻る可能性が示唆されています。そうであるなら、膵臓β細胞が回復し、最終的には薬からも解放され、「糖尿病は治った」といえる状態になるかもしれないのです。そのような希望が見えはじめたことは、長年、糖尿病治療にたずさわってきたものとして、とても大きな喜びです。
いずれにせよ、「糖尿病は治るのか、治らないのか」という議論が、糖尿病専門医の間でできるようになっただけでも大きな進歩だと思います。筆者の知る限りにおいて、このような議論ができた糖尿病治療薬や時代はこれまでなかったのですから。
しかしそうはいうものの、「糖尿病が治る」と専門医が口にしはじめると、患者は安心して過食・過飲し、その結果、「糖尿病は治るどころか悪化するのでははないか」と懸念する医師もおります。それも、もっともなことです。私の外来でもそれが一番、心配な点です。
医学と医療とは異なります。医療においては、人間の心理的側面も配慮しなければなりません。善と思ってしていたことが、かえって悪になる場合もあるからです。「糖尿病は治る」と安易に口にしてはいけない理由のひとつが、そこにあります。糖尿病は治るかもしれないという希望が、治療努力を逆戻りさせることだけは回避しなければなりません。
このように、糖尿病は治ると言い切るにはなお微妙な問題がありますが、ただひとつだけ読者の皆さまにご理解いただきたいことがあります。それは、本書にご紹介した「糖尿病は治るか、治らないか」という議論が、GLP−1の作用メカニズムにもとづく専門的な研究からみちびきだされたものだということです。それは、「糖尿病が治る」という広告や宣伝文句のもとに販売されている一般のサプリメントや民間療法とは比較にならないほど高次の議論なのです。
GLP−1が登場したからには、読者の皆さまには、アンチエイジングやサプリメントのように明確な科学的根拠(EBM)がない、ネットで買えるような商品や民間医療に対しては否定的になっていただきたいのです。とくに糖尿病の問題をかかえておられる方には、糖尿病治療の夢の新薬の意義をしっかりと理解している保険医の内科医師、糖尿病専門医の外来を受診していただきたいと筆者は考えます。
皆さまがそのような医師と出会うことができ、その診察とすぐれた治療をうけられ、これまでに経験したことがないようなすばらしい治療成績を得て、糖尿病のすべての合併症から解放される明るい未来を迎えられることを祈願して、筆をおきたいと思います。
最後に、本書の作成にご助言・ご協力いただきましたたくさんの糖尿病専門医の先生がたやHDCアトラスクリニックのスタッフたち、朝日新聞出版の関係者の皆さまがたには、この場を借りまして深く御礼を申しあげます。
2010年3月
鈴木吉彦
朝日新聞出版、書籍、糖尿病に克つ 新薬最前線 2010年3月 231ページから234ページまで コピーライト、©鈴木吉彦
